aikokimura’s diary

私は鍼師で視覚障害を持っております

「カナダ②西カナダ横断旅行」1995

1995年8月のカナダ横断旅行は、私が思いついて視覚障碍者とボランティアさんとで10名位集め、旅行計画をJTBの担当の方に相談しました。 そしてトロント、オタワ、シャーロットタウン、カルガリー、レイク・ルイーズ、バンクーバーと、2度目のカナ…

たび「カナダ①JTBツアー旅行」1986

1986・95年頃の2回、私はカナダ旅行をしました。1980年代はカナダへの新婚旅行なども流行っていて、若い人達から聞く「カナダは良いわよ」という言葉に惹かれていました。 私は日頃、学校の文書など多くの書類を墨字に直してくれているボランティ…

たび「イギリス③私の英会話」1950年代~2013年

コッツウォルズからの帰りにロンドン郊外のバスターミナルまで私達が移動すると、たまたま時間の空いていたガイドのAさんのご主人が車で迎えに来て下さり、空港まで送って下さいました。 途中、ケンジントン近くのデパートか免税店に寄り、私以外の女性3人…

たび「イギリス②コッツウォルズ・湖水地方」2013年

2013年頃、2008年にクロアチアへ一緒に行った3人で、イギリスの田舎コッツウォルズ(羊の丘)へ1週間ほどの旅をする事にしました。イギリスに住んだ日本人は必ず行っている所だそうです。行きはヒースロー空港から出ている長距離バスで3時間位。…

たび「イギリス①エジンバラ・チェスター」2004年

1981年から2013年にかけて5回ほど行ったイギリスの旅で、2004年に私が計画した英国研修旅行ではスコットランドの首都、エジンバラまで足をのばして観光もする事にしました。 その頃JTBでは10名位から団体扱いをして下さいました。それに現地…

30年に渡る 視覚障碍者女性の世界研修旅行記 第一部まとめ

77歳の視覚障害を持つ私は「痛くない鍼治療師」として、コロナの時期も、毎日6歳から87歳までの患者様の話を聞き、私の意見も言い、お互いに尊重し合った鍼治療が出来ています。結婚こそしませんでしたが、商人の中堅クラスに育ち、自由な東京教育大学…

たび「クロアチア ザグレブの大使館とドブロブニク」2008年

長い間、鍼治療に来院下さっているご主人が、科学者でありながら、クロアチア大使になられました。体調も落ち着いておられないという事で、3年間の任期の間に、クロアチアで私の鍼治療を受けたいとおっしゃって下さいました。 私は日頃仲が良く、日常の事や…

たび「フィンランド⑤ヘルシンキの研修とベルゲン、バーデン=バーデンからアルザスへ」1990年代

北欧4か国の内、研修をした国はデンマーク、スウェーデン、フィンランドの三ヵ国でした。ノールウエイへは90年代の研修途中に2回、ベルゲンへ観光に行く事ができました。ベルゲンは音楽家グリーグの生まれた町です。白夜のまだ日の落ちない時間に、ホテ…

たび「フィンランド④Haikoo Spa congress center」1995~2018

Haikoo Spa congress center は、広大な国営の医療施設です。主に糖尿病、腎臓病、骨の病気のケアーを行い、スタッフは医師1名、看護師2名、セラピスト数名、栄養士、ケースワーカー等、10名が常駐しています。日本の温泉施設には今もこのような医療スタ…

たび「フィンランド③ Haikoo spa congress center へ 」

ヘルシンキ郊外、空港からバスで1時間ほど北東に向かって走ると、森と湖の村、Haikoo spa congress center と言われる国営の施設があります。 https://www.haikko.fi/en 2棟のケアー施設と、マナーハウス、それに広い庭は、クロスカウントリーができたり、…

たび「フィンランドへ向かう②デンマーク」1994

デンマークでの研修は、気管支喘息の鍼治療をしていらっしゃる医師の招へいをもらいましたが「あなたの知っているとおり、喘息の鍼はあまり効果がありませんので、わざわざ来て下さる事は申し訳ない」というお手紙の内容でした。 飛行機のチケットがコペンハ…

たび「フィンランドへ向かう① イギリス・ドイツでの研修」1994

1980年代のヨーロッパ研修旅行は、視覚障害教育の現状を視察する目的で、全国の先生方に加わって勉強させてもらいました。 1990年代になって、私は鍼やマッサージの現状を知りたいと思うようになりました。そのために、いくつかの論文を読んで、イギ…

たび「イタリア⑨パリの夕食とシャンソン シチリアへ」

パリ最後の夜は、ガイドさんのご自宅に招かれました。フランス人の消防士の住まいで、マンションでした。4人家族が住んでおられるそうです。 私には、パンとコンソメスープと子牛のステーキ、デザートは好きなアイスクリームでした。フランス人のいつもの夕…

たび「イタリア⑧最後のイタリア渡航」2006

2006年夏。筑波大学付属盲学校、教諭退職のお祝いに、私は一人でフランスに行き、パリで長年の患者さまと落ち合ってシチリアに行きました。パリ空港に着陸したとたんに、サプライズです。 空港内の警察官ジルが私を出迎えてくれました。彼はブラインドサ…

たび「イタリア⑦カターニアの物理療法学校」1990

カターニャの物理療法学校に招かれて、驚く事ばかりでした。まず私を迎える式典がありました。校長先生、主任の先生のご挨拶があり、次に50名程の学生さんの中から、代表の方の心温まる言葉。たぶん、遠い日本から来て頂いて嬉しい事、日本の按摩や鍼を知…

たび「イタリア⑥空港トラブルとイタリアの温かい家族」1990

1990年頃、私はシチリアのカターニャにある物理療法学校に招かれました。日本からの同行者には21歳の知人の女性をお願いし、学校とのやり取りはエトナさいとうを介して電話で行いました。 日本とイタリアの時差は冬8時間、夏7時間です。仕事を持って…

たび「イタリア⑤シチリアの絵 エトナ山の鼓動 ブルカーノ島」

私がイタリアに行った時、鍼を頼まれて、シチリアの画家であるマリア様のアトリエにも何度か伺いました。三度目の時は自宅にも招かれ、ランチをごちそうになりました。 私は絵が好きですので、お話しながら彼女が描いた何十枚もの絵に手をかざして、10枚位…

たび「イタリア④エトナ 1988」

1988年に、私がイタリア旅行を計画したのは「卒業生、エトナさいとうが入学できる盲学校がイタリアにあるか探す」という目的があったからでした。 エトナは、私が筑波大学盲学校に勤務していた頃に、音楽科に在籍していました。彼女が胃痛を起こした時、…

たび「イタリア③私の手が観た教会と芸術」

バチカン市国のサンピエトロ寺院では、歴代の法皇様のご遺体は、1メートル高い所に祀られていました。 以前訪ねた、イギリスのウエストミンスター寺院でも、大家の墓石は少し高い所に在って「ここには登らないように」と言われた事を思い出しました。そこで…

たび「イタリア②ローマ~バチカン市国」1988

8月のローマは38℃。太陽ギラギラの中を歩いてトレビの泉に行き「一度来たら、また来られる」といういわれを聞いて、皆でコインを投げてみました。その後、私以外のメンバーは誰もイタリアを訪れていません。「幸運ももらえたかなー?」 ローマの地は、暗さ…

たび「イタリア①アムステルダム~スイス」1988

1988年8月、私はJTBにお願いして、友人と、付き添いのボランティアさん達を含めた10数名の旅を計画しました。メンバーは同級生とその友人、福井県在住の友達の友人、そのボランティアさん、私の学校での書類を代筆して下さっているボランティアさん、…

たび「ニューヨーク⑥ワシントン大聖堂 ヘレン・ケラーの墓石を訪ねて 2015」

ヘレン・ケラーさんは、1937年(昭和12年)4月29日に東京盲学校においでになられ、1時間講演されたそうです。 私がヘレン・ケラーさんのお声をお聞きしたのは1955年(昭和30年)10歳位の頃でした。当時私が通っていた東京教育大学付属盲学校(旧東京盲学校)…

たび「ニューヨーク⑤お世話になった方々 NYの様々なお食事」

皆様ご存知のように、ニューヨークには郷土料理はありません。当時もイスラム、キリスト、ユダヤの三民族を中心に、ほぼ3分の1ずつ住んでおられるという事で、お料理は多彩でした。私がニューヨーク訪問中にご招待を頂いた夕食の中で、初めて頂いたギリシ…

たび 「ニューヨーク④お世話になった方々 著書『日本のいやしの針』の翻訳」2004

私は2004年に、今もいらしている患者様からの強い勧めで『いやしの鍼』という本を日経BPから出版しました。その本をニューヨークの方々にも読んで頂きたく10冊ほど持参しました。一人のアメリカ人の患者様が、読んで下さってすぐに「この本をぜひ私に…

たび「ニューヨーク③お世話になった方々 NYウエストチェスターの音楽」

マンハッタン島からウエストチェスターと呼ばれる地域は、17世紀にイギリス人がこの地に足をおろし、ニューヨーク州が出来ていったようです。 北緯43度、日本の札幌とまったく同じですから、空の色は、濃く、4月、6月、8月、9月、10月、11月初め、…

たび「ニューヨーク②お世話になった方々 自宅から成田空港、NYまで」2002

2002年のニューヨーク訪問2回目までは、日本からずっと付き添いの方をお願いしました。1回目は前回書かせて頂いた同僚のY先生、2回目はベトナムセミナーの時にボランティアとして参加されていたO先生で、彼女は2021年の今も現役で新潟の教育界で…

NYセミナーの資料として、著書 『新しい中国の奇穴』より「陰と陽の原則」抜粋

<陰陽論の考え方> 2001年11月にNYの教会で開催したセミナーで日本のマッサージと鍼治療についての講演をするよう招待されました。私が短期間で達成したかった目的は次のとおりでした。(1)マッサージと鍼治療について聴衆に知らせること。 (2)陰陽の…

たび「ニューヨーク①」2001・11

2001年、ワールドセンター事件の年です。3月頃に、ニューヨーク在住のある有名な方から「東洋医学の話をして欲しい」という依頼がありました。 早速、私は勤務していた学校の管理職に許可を貰いに行ったところ「兼業はいけません」と言われましたので、…

たび「ベトナムセミナー③」1998~2002

1998年から2002年まで毎年、夏の10日間にホーチミンとダナンで、「ベトナムマッサージセミナー」および「文化交流会」が日本財団と小学館の社長さんの援助により行われました。講師に向かったのは私をはじめ、筑波大学の教員、私が担任した新潟県…

たび「ベトナムセミナー②準備」1998

ベトナムセミナーの実施にあたり、その年の5月頃から7月末までに3回位、BAJと桜雲会の参加メンバー10名程が準備のために集まりました。ホーチミン、ダナンでの講義と実技は何を行うか、何人のグループに分けて行うか、通訳は1人の講師に1名で良いかな…