aikokimura’s diary

私は鍼師で視覚障害を持っております

30年に渡る 視覚障碍者女性の世界研修旅行記 第一部まとめ

77歳の視覚障害を持つ私は「痛くない鍼治療師」として、コロナの時期も、毎日6歳から87歳までの患者様の話を聞き、私の意見も言い、お互いに尊重し合った鍼治療が出来ています。

結婚こそしませんでしたが、商人の中堅クラスに育ち、自由な東京教育大学付属盲学校で、遊び、学びました。両親もやりたい事は出来るだけやらせてくれましたから、恵まれた学生生活を送れた事になります。

もし、大学に行くコースがあったら18歳で女子大に行っていたでしょうが、大学で視覚障害者が学べる制度が出来る1年前で、今より選択肢は限られていましたので、仕方なく教育学部特設教員養成施設に行く事にした訳です。

受ける以上は、毎日、点字のノートを読んで覚えました。普通科目は、旺文社の受験テキストを読み上げてもらって自分で点字に写して勉強し、弱い数学のみ、家庭教師に数か月習いました。冬には指先から血が出てしまうほど点字を読みました。

5倍以上の受験者で現役で受かる事は難しかったですが、何とか合格する事ができ、2年間、東大、横浜市大、防衛大、もちろん教育大の先生方の講義を受けました。寄宿舎にも入り、自由時間には友達と、コンサートに観劇にと忙しい毎日を過ごしました。

寮内では、英会話の会や、お灸の勉強会にも参加しました。大変だったのは卒論で、数人で夜中まで話し合い、そろばんを使って何度も計算をしたり、針や機械を使った実験をし合った事は、忘れる事は出来ません。

さらに就職してからも、日曜日や夏休みに、鍼の研究会に一人で参加した事は、今の私の鍼治療の基本になっています。そして、夏休みにはあちこち海外へ行き、研修させて頂いた事を今回纏めさせて頂きました。

今、若い患者様とお話できる事は、学校で生徒から自然に学んだ沢山のものが、役立っていると感じています。いろいろな積み重ねが木村愛子を作って下さった、感謝の気持ちとして研修旅行記を書いてみました。このような視覚障害を持つ人がいる事を多くの方に知ってもらえたら嬉しいです。

ありがとうございました。

 

*第二部は、2020年までの国内外の、観光をメインした旅について書いていこうと思います。