aikokimura’s diary

私は鍼師で視覚障害を持っております

たび「イタリア③私の手が観た教会と芸術」

バチカン市国のサンピエトロ寺院では、歴代の法皇様のご遺体は、1メートル高い所に祀られていました。

以前訪ねた、イギリスのウエストミンスター寺院でも、大家の墓石は少し高い所に在って「ここには登らないように」と言われた事を思い出しました。そこでは、皆が歩く回廊の床にも様々な人達が埋葬されており、法律家のトーマス・モアや、スコッチウイスキーの「オールド・パー」由来の農夫の名前を、教えてもらって触りましたが、刻まれた文字は薄くなっていて、まったく判りませんでした。

サンピエトロ寺院でも、高さを確認するためにいろいろな法皇様の名前を触らせて頂きました。墓石はつるつるしていて、大理石で作られているようでした。どの法皇様も「気」が温かく、ここでは全てが平等である事を、強く感じました。

ミラノのスカラ座へ行った時は工事中で、一般の方々は立ち入れませんでしたが、視覚障碍者の私達は見学させて下さいました。木の良い匂いのする中、並んでいる常任指揮者の像、ロッシーニトスカニーニや、歌手のパバロッティなどの顔に触れる事ができました。

日本では、大事なものの多くはガラスケースに入ってしまっていますから、まったく触れませんし、感じられませんが、ヨーロッパはどの国も、視覚障碍者には触らせて下さいました。


私は、比較的若い頃から色々な気を感じやすく、芸術家の作品から発せられているものも、とても興味深く楽しめますので、ヨーロッパでも多くの美術館に行きました。どの美術館も柵はありますが、ガラス張りではありませんので、絵の感じをたぶん指先に感じやすいのです。

絵の方向に手をかざすと例えばゴッホの作品も、若い時には、力のある細やかな絵を描き、晩年はなぜか、力なく暗い感じの絵を描いているなあと私には感じられました。

サンピエトロ寺院にあったミケランジェロやダビンチの絵は、私はどちらかと言われたら、ミケランジェロの細やかな絵の方が好きでした。画家の中では、特にラファエロが好きです。優しい感じですから。

 

残念ながら、眼が見えなくなってからイタリアに行きましたし、フィレンツェのオフィス(ウフィツィ)美術館、オランダのゴッホ美術館、レンブラント美術館、サンクトペテルブルグのエルミタージュも、眼ではなく、手で感じて楽しみました。


そしてパウロ2世法皇の生まれた国、ポーランドの、塩の教会のあるヴィエリチカ岩塩坑に行った時には、歩いていると法皇様の足型を見つけましたので触りました。小さな足裏で指まで触れた事を覚えています。

ポーランドでは視覚障碍者用に、町の地図が所々に碩図になって触れられる様になっていました。全ての人々を大切にする法皇様は、素晴らしい方だと感じました。