aikokimura’s diary

私は鍼師で視覚障害を持っております

たび「イタリア⑧最後のイタリア渡航」2006

2006年夏。
筑波大学付属盲学校、教諭退職のお祝いに、私は一人でフランスに行き、パリで長年の患者さまと落ち合ってシチリアに行きました。パリ空港に着陸したとたんに、サプライズです。

空港内の警察官ジルが私を出迎えてくれました。彼はブラインドサービスの人と一緒に関係者しか通れない空港内通路を歩いて、私を税関まで送ってくれました。税関を出たところにはジルの奥さん(長年の患者さんのMさん)が待っていて、私が一人で泊まる予定のサンジェルマンのホテルまでを案内してくれました。

1994年にJTBの「瑠璃色の旅」でフランスを訪れた際、パリはフリーでしたので、現地のJTB日本人ガイドさんをお願いしました。とても行き届いた方で、私はルーブルを、姪はオフィス美術館を案内して頂きました。「次回はぜひ連絡を下さい」と言って下さいましたので、電話番号をお聞きしてありました。

私は退職祝いの旅に、その方にガイドをお願いした訳です。何度も出かける前にパリに電話して、ガイドさんのご自宅近くのホテルを取って頂く事ができました。

フランス語のまったく判らない私、ホテルのスタッフは英語はまったくだめ。ガイドさんは「何かあったら直ぐに電話して下さい」と言って下さり、ホテルのスタッフに私が目が見えなくて、フランス語が使えない事をよく話しておいて下さいました。


サンジェルマンの公園近くの小さなホテルは、ガラスの棚、ガラスの洗面所で、最初は怖い感じがしましたが、三日間泊まっても、私は何も壊さずにゆっくりできました。
ガイドさんは、朝8時半には来て下さり、夜8時まで一緒に過ごして下さいました。

食事ではパイのような、蕎麦粉の生地の食べ物も何回か食べました。まるで、ベトナムの春巻きのようなもので、ホウレンソウでもキュウリでも、果物でも何でも巻いて食べやすく、美味しかったです。


今回は、ドビュッシーの生家、モネの家、ラベルの田舎の家まで連れて行って頂きました。私はドビュッシーの裸体の像を触り、思ったより小柄な感じだった事、ロダンの「考える人」の本物を触って、なんという細やかな彫刻だろうと感じました。

不思議にもモネのお庭の池で、有名な「赤いスイレン」が1本生えているのを、私の見えないはずの眼が見えてしまった事は、今でもはっきり覚えています。