aikokimura’s diary

私は鍼師で視覚障害を持っております

たび「フィンランドへ向かう① イギリス・ドイツでの研修」1994

1980年代のヨーロッパ研修旅行は、視覚障害教育の現状を視察する目的で、全国の先生方に加わって勉強させてもらいました。

1990年代になって、私は鍼やマッサージの現状を知りたいと思うようになりました。
そのために、いくつかの論文を読んで、イギリス、ドイツ、デンマークなどのクリニックや物理療法学校に研修依頼の手紙を書き、招へいを頂けた所に、ボランティアさんと共に訪問しました。

イギリスのケンブリッジのクリニックでは、アラビア式の診断に基づいた鍼治療を受けさせて頂き、また、日本の針治療をお伝えする事が出来ました。

ドイツのマインツの物理療法学校では、当時としては新しい訓練機を見せて頂く事が出来ました。
呼吸器の内、鼻呼吸・口呼吸のリハビリのための、瀬戸物で精巧にできている訓練機を触らせて頂いた時に「まさに実際的なリハビリができる」と感じました。また、洋式トイレの形をしていて、実際に座らせて訓練する機械も既にありました。

いちいち鍵を開けて各部屋を案内して下さり、機械、器具等を触らせて下さいました。ドイツらしくきちんとしていると思いました。

最後に、ケースワーカーの方が「この機械が何であるか、操作ができるまで組み立てて下さい」と言われました。私はまず、全体を両手で触り「これは、低周波治療器です」と申し上げてから、コードを付けて、導子を付着させ、いろいろなスイッチを確認しました。

「40分かかりました、ずいぶん早いですね」と誉めて下さいました。私が全て出来るまで、じっと待って下さるワーカーの方に恐縮しました。「いつもこのように指導しています」と言われました。

 

「待つ事」指導者はこれが出来なければいけないのだと痛感しました。

日本で私が教える時には、国家試験のためのカリキュラムに追われ、ついつい学生の答えを待たずに、自分から答えてしまっていました。省みてとても恥ずかしく、教育者は「待つ事」が出来なければならない、と誓いました。

その後、物理療法の施設庁とマインツの市長さんが、私がとても良い研修者だからと、わざわざ市庁に招いて下さり、お土産まで下さいました。最も素晴らしいお土産は「物理療法の赤本の教科書」を下さった事です。

マインツの研修の際は、私が日本の按摩をドイツの学生さんにやってさし上げ、また、ドイツの結合式マッサージを見学させて頂きました。数種類あるマッサージに教科書は全くなく、一つ一つの手技を体で覚えるまで練習します。

日本ではマッサージの手順等が書かれている資料をもとに教えますので「何か資料はありますか」と私がうかがいましたら「体で覚えるのです」と先生は答えられました。
「なるほど、音楽と同じに体で感じとる事を指導しておられる」事を知りました。

多くの素晴らしい体験をさせて頂いた上に、私の「資料を」という言葉を覚えていて下さり、ドイツ語の赤本まで下さいました。なんと幸福な教師だと、自分に言い聞かせた夏休みでした。


その後、私が授業の中で「待つ事」を生かせた事は無いと感じています。本当に残念です。生徒が「先生の授業だけノート取ってあるよ」と言ってくれた時、いくらかドイツの体験が生かせていたかと感じました。