aikokimura’s diary

私は鍼師で視覚障害を持っております

たび「イタリア④エトナ 1988」

1988年に、私がイタリア旅行を計画したのは「卒業生、エトナさいとうが入学できる盲学校がイタリアにあるか探す」という目的があったからでした。

エトナは、私が筑波大学盲学校に勤務していた頃に、音楽科に在籍していました。彼女が胃痛を起こした時、私の鍼治療を受けに来ますと、1回で痛みが治りましたので「なんと素晴らしい鍼だろう」と感じたそうです。それがエトナとの出会いでした。

エトナが卒業して1年位経つと、私の自宅に電話がかかってきました。
「イタリアのエトナ山と会いたいけれど、どうしたらイタリアに行けるかなー?」
エトナは子供の頃から本当に火山が大好き。愛しているのです。日本火山学会にも14歳から入会させてもらっていました。特に、未だ見ぬエトナ山は「私の恋人のようなものだ」と言います。

 

エトナがイタリア大使館に問い合わせてみたところ、盲学校がある事は分かりましたが、教育内容まで知ることはできませんでした。彼女はイタリア語も習って大使館に何度も交渉したそうですが、ビザをもらうには「何か仕事か勉強する事」という応えでした。エトナはまず、日本の按摩鍼灸の資格を持って、それからイタリアの盲学校に行く事にしたのです。

私は、生徒のためなら何でもやってあげたい教師です。お金のないエトナを助けるために、留学できるイタリア盲学校探しの旅行を計画しました。


イタリアには、ミラノ、パドバ、ボローニャカターニャの4か所に視覚障碍者を受け入れる学校がありました。ミラノの盲学校は、3歳から18歳までの子供を預かって、生活訓練や学問を行っているようでした。私は訪問する際に、日本の手作りの盲人用「触れられる絵本」を、プレゼントに持って行きました。

ところがミラノの盲学校の教育は進んでいて、すでに3歳の小さな眼の見えない子供に、匂いをかがせる容器(クッキー、バナナなど)を嗅がせて「これは何の匂い」と教えたり、いろいろな石や砂を触らせて遊ばせたり、点図で綺麗に、すっきり描かれたもの(コップ、スプーン等)を当てさせて教育していました。

その絵図は、さすがイタリアと思うほど判りやすく、芸術的な感じがしました。日本でもボランティアさんが作って下さいますが、その完成度は比較になりませんでした。「これは日本で作って下さった絵本です」と申し上げて、恥ずかしながらプレゼントとさせて頂きました。

ボローニャの盲学校では、音楽の上手な生徒さん達が歓迎して下り、リハビリ施設も見学させて頂きました。その時の通訳をして下さった方は、後に有名になられたソプラノ歌手の佐藤しのぶ様で、東洋医学の言葉も多かったのですが、見学中や食事を共にさせて頂いた時も、本当に一生懸命、通訳して下さいました。

 

エトナは日本の盲学校を卒業して、国家試験も合格し、鍼灸師の免許を得て、1年後(1989年)に、シチリアにあるカターニャの大学を受験しました。試験にはイタリア語でダンテの「神曲」の感想を書くことも含まれていたそうです。そして見事合格し、9月に入学。3年間通い、最優秀で卒業しました。私は1991年に一度、在学中の彼女を訪ねてあげました。

エトナは優秀でしたが、外国人であったためか、カターニャの病院をすぐ解雇されてしまいました。彼女はがっかりしましたが、そこには、救いの医師がいらっしゃいました。
「ニコロージ村で開業して鍼治療ができるようになりました。」

 

後に、私もニコロージ村へ伺うようになり、エトナが大好きな山々に囲まれて、村の優しい人々の中で仕事をしている事が分かりましたので、本当によかったと思いました。


開業したエトナは診察で判らない事があると、イタリアから国際電話をかけてきました。私は患者さんの様態を聞き、治療法を指示しました。

また2年に一度、こちらが夏休みの時に1週間イタリアに行って、エトナのアパートに宿泊しながら、来院する患者さんを朝から夜10時過ぎまで一緒に診察したりしました。エトナの通訳で、どのような治療が良いか、脈を診たり、問診や触診をして決めました。エトナはカルテに一生懸命書き込みました。

数回のニコロージ滞在で、200例以上を診させて頂きました。時にはご自宅に呼ばれ、治療する事もありました。

標高700メートルのニコロージの村には糖尿病の患者さんが多く、医師が少ないため、自分でインスリン注射をしていました。

そこで私は、患者さんの血糖値を下げるために、膈輸穴(かくゆけつ)に鍼をしばらく置くやり方、置進法を行って見ました。

すると、血糖値が200あった患者さんが160や150となりましたので、非常に喜ばれて、その他にも何人も患者さんを紹介され、5例ほど良い結果が得られました。


夕食は、よく招待を頂きました。イタリア人は朝食はバールで簡単にすませますが、昼食、夕食は必ずパスタとサラダを食べます。そのパスタの量は、90グラムが普通、70グラムは少なめだそうです。私は30グラム、子供サイズだそうです。

2回目に伺った時には「あなたはチーズ抜き、子供サイズだよね」と覚えていて下さいました。ほんとうに優しい方々です。子供は、最初にご挨拶をして、私たちが食事を終わると、またご挨拶に来て一緒に写真に加わってくれたりしました。ご家庭で、良く育てられていると感じました。