aikokimura’s diary

私は鍼師で視覚障害を持っております

たび「イタリア①アムステルダム~スイス」1988

1988年8月、私はJTBにお願いして、友人と、付き添いのボランティアさん達を含めた10数名の旅を計画しました。
メンバーは同級生とその友人、福井県在住の友達の友人、そのボランティアさん、私の学校での書類を代筆して下さっているボランティアさん、私の姉、そして私の患者様とご主人が、新婚旅行を兼ねて私をサポートして下さる事になりました。JTBからは、ガイドの方がずっと付いて下さいました。

成田からアンカレッジ経由でアムステルダム空港へ飛ぶのですが、トラブルで数時間遅れて、搭乗便は午後発から夜発へ変更になり、成田では待ち時間に軽いサンドウィッチが配られました。

アムステルダムには30時間以上かかって朝7時頃に着きました。
着陸してJTBのガイドさんが、「数十回ここに来ているけれど、朝陽を見られたのは初めてです」と言われた時、私たちは遅れて出発できたのは良い事だった、と見えない眼で朝陽をゆっくり見直しました。
空広く広がって飛行場からの太陽は綺麗でした。

アムステルダムでは2泊。ユダヤ人アンネの家と、ユトレヒトのオルゴール博物館見学は、今でもよく覚えています。オルゴールの大きさが、アップライトピアノの半分以上あり、木材も重厚で、音は柔らかく低い。そのようなものが何台も置いてありました。日本では触っていけないものが、十分に触れられる喜びも感じました。


次にスイスのチューリッヒへ飛行機で移動し、そこから登山列車でユングフラウヨッホに向かいました。途中駅のグリンデルワルトも素晴らしい所でした。

標高3454mのユングフラウヨッホ駅に到着すると、3571mのスフィンクス展望台へ皆で登りました。
展望台の手前には氷の部屋があって、様々な氷像の中に日本人のお相撲さん、たしか千代の富士の氷像もありました。

つるつるした氷のうしろは、夏だというのに真っ白な雪景色。同行の彼女は眩しくて歩けないと言うので、私が白杖を付きながら彼女の手を引いて雪の展望台を15分くらい歩きました。世界中から沢山の人が来るヨッホは、いろいろな言語が耳に入って来ました。

登山列車では、誰も高山病になりませんでしたが、一番年を取られた方が頭痛がするからと先に山を降りて、待っている事になりました。

私たちは、頂上近くのカフェで、スイス本場のチョコレートドリンクを飲みました。スイスのチョコレートは本当に今でも大好きです。野菜サラダもあってシェアーしながら皆で美味しくいただきました。


長期旅行組と分かれ、姉を含めた4人はここで先に日本に帰る事になりました。
ガイドの方は姉達を送りに、アムステルダム空港まで往復して下さいました。アムステルダム空港は治安が悪く、慣れているガイドさんも待ち合い室などで、数時間眠る事はしてはいけないそうです。
次は、いよいよローマです。