aikokimura’s diary

私は鍼師で視覚障害を持っております

たび「ベトナムセミナー③」1998~2002

1998年から2002年まで毎年、夏の10日間にホーチミンとダナンで、
ベトナムマッサージセミナー」および「文化交流会」が日本財団小学館の社長さんの援助により行われました。

講師に向かったのは私をはじめ、筑波大学の教員、私が担任した新潟県立盲学校の教員、
さらに、自ら参加したいと言われた茨木県立盲学校及び、島根県立盲学校の教員でした。

セミナーの指導内容は次のような事です。

・簡単な解剖学(主に、骨の位置構造、筋肉の名前や走行、
どこから起こりどこまでで終わるか、大きな神経の名前や走行など)
・生理学(筋肉や神経の作用について、血圧の測定の仕方)
・按摩に必要な検査(問診、触診、徒手で行う神経学的検査法など)
・按摩の基本手技、全身按摩の術式(側臥位、伏臥位、按腹など)
・さらに、高血圧、肩こり、腰痛、頭痛、疲労などの臨床按摩法が5年間のカリキュラムに入れられました。

その後、指導者数人で、学んだ人がどのくらい理解してもらえたかを見るテストの時間も取り、修業した人には修業証書を授与しました。

参加されたのはホーチミン、ダナンの盲学校の生徒さんの他、
ベトナム全土の盲学校の先生、盲人協会の職員など毎回40~50名程の多彩な方々でした。
通訳の方も1科目に1人はいらしたので、大勢の方々と親しくなりました。


セミナーの1日は毎朝7時半過ぎに迎えのバスが来て、学校は8時前から始まり、
10時のおやつを挟んで11時40分に、午前の講義や実技が終わります。
昼休みはスープとご飯の昼食と昼寝。とても長いです。
熱い国はどこでもそうらしいです。中国やイタリアもそうでした。

午後は13時過ぎから16時過ぎまで指導をし、その後、今日の反省会。
17時過ぎにホテルに着き、ほっとする時間は18時半まで。
そのわずかな時間を、私達はホテルの目の前にある洋服製造と小物屋さんに何度も足を運び、
ベトナムシルクのスカート、スーツ、ワンピースなどを誂えて作る楽しみを覚えました。

夜のレセプションは政府からも要人がいらして、光栄ながら気の休まらない夕食が毎日続きました。
夕食の後、23時前にホテルへ歩いて帰る30分は、まだ開いている店で買い物などをしながら、メンバー同士で話し、ようやくリラックスできて一日が終わりました。


マッサージセミナーとは別に、ボランティアグループも募集した文化交流会では、
眼科の医師、新潟盲学校の先生方、桜雲会・高橋元理事長の奥様をはじめご友人、私の友人など沢山の方が参加して下さいました。
そして歌を歌ったり、お茶をたてたり、浴衣を着て「さくら」を踊ったりして下さいました。

衛生面の事も含め、この5年間を無事に成功できた事は、本当に良かったと思います。
新石様も喜んで下さっておられると思っております。


その後、意欲的な方々がベトナムから日本へ留学して学ぶようになりました。
今でも連絡し合っているベトナム人女性は、日本へ来て筑波大学院の障害教育を専攻し、修士まで出て、現在はダラットでダウン症の子供達などへの障害児教育と、視覚障碍者には日本あんまを教えて下さっています。
他にも今知る限りで4人位の方が、開業権を得られて活躍されている事、
盲学校の先生として活躍されている事は、どんなに苦労をされても喜ばしい事です。


2002年以降も、文化交流と留学生の状況把握のため、何度かベトナムに伺っております。
留学生の中にはまだまだ貧しく、途中でベトナムに帰った生徒さんもいました。
真面目でやる気のあるベトナムの視覚障碍者の、社会への受け入れは大変だと思います。

考えてみれば身近な日本国内でも、視覚障碍者が歩く事、生活する事、そして職業に付いても理解を得られてない人がいっぱいいるのですから。