aikokimura’s diary

私は鍼師で視覚障害を持っております

「カナダ②西カナダ横断旅行」1995

1995年8月のカナダ横断旅行は、私が思いついて視覚障碍者とボランティアさんとで10名位集め、旅行計画をJTBの担当の方に相談しました。

そしてトロント、オタワ、シャーロットタウン、カルガリー、レイク・ルイーズ、バンクーバーと、2度目のカナダも8日間で8000キロメートルを横断するという強硬な旅になりました。

東京からのボランティアさんは私がお願いし、奈良の友達は自分でボランティアさんをお願いして、全員、成田空港の往復に利用したノースウエスト(現デルタ航空)のカウンターに集合しました。

アメリカの飛行機は食事が美味しくないと聞いていましたが、パンやお肉は全員「普通」と言って食べていました。

私はこの機内で、「義眼」(視覚障碍者で眼球摘出手術をした人は、眼の保護のために義眼を入れています)をトイレのシンクで洗っている時に落としてしまいました。

「どうしよう」と考えた末、忙しいスタッフの方を呼んで、「義眼を流してしまいましたが、もし取れるならばお願いしたい」と拙い英語で伝えました。

すると、客室のCAさん数人と、パーサーの男性一人がやって来てシンクの下の扉を開けて下さり、スプーンや箸を使って、小さな眼を取り出して下さいました。30分も私のために数人の方が時間をさいて下さったのです。

私は「何かお礼をしたい」と言いましたら、「そんな事は必要無い。あなたの眼はプラスチックのカップに入れて水に浸けてあるので、数時間おいてきれいになったら眼を付けて下さい」と皆で喜んで下さいました。

何と嬉しい機内の出来事でしょう。トロントに着いた時には、感謝のお辞儀をして「ありがとうございました」と言葉をかけて機内を後にしました。

その後、私は反省して、義眼をシンクでは洗わず、機内でカップとミネラルの水を頂いて、何度かカップの中で義眼を洗って、汚い水だけをシンクに流す方法に変えて、何十回も飛行機に乗っております。 

 

カナダに着いてナイヤガラ観光をすませてから、トロントから1時間のフライトでオタワへ着きました。ウエストホテルは古風で静かです。

オタワの観光ガイドさんは、日本大使館に勤務の奥様で上品な方でした。「カナダに観光なさる方は多いですが、オタワまではなかなか来て頂けません、とても今回は嬉しく思います」と静かにおっしゃられました。

オタワはカナダの首都ですから、午前中、衛兵の訓練を観光しました。運河の町は横浜より静かで、高級な住宅街があって、ここに来られて良かったと私は感じました。

運河には船が沢山あって貿易物資を輸送しているようです、豊かな国と感じました。ただ、今でいう多様性の方が沢山いらっしゃると聞き、びっくりしました。


トロントからハリファックスまで小さなプロペラ機で行き、9人乗りのミニバスでシャーロットタウンにある『赤毛のアン』のグリーン・ゲイブルズ・ハウスに行きました。

緑の森の中の一軒家という感じで、2階建てのあまり大きくない家でした。でも、何もないこの家にアンのファンが世界からやってくるのです。

アンの部屋はせまく、ベッドは固く小さくて貧しい感じです。それに反して台所は広い。アンのクックブックが売られているくらいですから、アンは料理が上手だったのでしょう。

「お化けの森」や「恋人の森」は暗く怖かったように覚えています。私は日本に帰ってから初めてアンの映画を英語で観ましたが、シャーロットタウンの様子をリアルに思い出すことができ、わかりやすかったです。

シャーロットタウンでよく覚えているのは、車道が広いけれど人が歩いていると必ず車が止まって渡りきるまで待って下さる事。

もうひとつは、アンの家の近くで売っていた、持ち手がコーンで焼かれたブルーベリーヨーグルトソフトクリームがとても美味しく、皆でこんなに美味しいソフトクリームは食べた事がないと話し合った事です。

どこへ行ってもそう思いますが、たくさんの見聞きしていた情報と、実際に現地に足を降ろして自分の体で感じるものとでは、まったく違った感じがします。今回も良い体験になりました。


そして次の移動では大変な事が起こりました。ハリファックス空港までは何事もなくスムーズでしたが、待ち時間に急にストームが来て30分後には飛行機が飛ばなくなってしまいました。

その後、1時間遅れの大揺れの飛行機でトロントには着きましたが、またエアーカナダが翼の故障で遅れて、別の飛行機で乗り換えの空港に着いたのは17時半。

19時発の飛行機でカルガリーに行かないと、その日のうちに泊まる予定のレイクルイーズのホテルに着かない事になります。

私達は大きなスーツケースは預けてショルダーとハンドバックを持って、本来ならばバスで移動する距離の広い空港内を15分以上も走り、やっと予定していた飛行機に間に合いました。

嬉しい事が待っていました。飛行機会社のトラブルですから、私達のほとんどはアップグレードされファーストクラスに乗る事になり、陶器で作られた器で夕食がとれました。走った後ですからとても美味しく感じた事を覚えています。


カルガリー空港からバスで宿泊先のホテル「シャトー・レイクルイーズ」に着いたのは0時過ぎでした。そしてさらに遅れてスーツケースが届いたのは朝の6時でした。

私は海外旅行には慣れてきて、必ず手荷物に洗面用具とパジャマと1回分の下着を持っていましたから驚きませんでしたが、大部分のメンバーは手荷物に洗面用具は入れていませんでしたので、スーツケースが届いた朝に慌てて歯磨きをしていました。中にはスーツケースに紙幣を入れてしまい、全部盗まれてしまった方もいました。


レイクルイーズの朝日は素晴らしく、世界中からこの朝日を見にいらしています。私は前回のツアー旅行でも見られましたが、今回もほとんど徹夜で頑張って6時前からシャトーの庭で朝日が昇るのを待ちました。

真っ赤な点が雲の中に見えてくると段々と大きくなり、しばらくすると月の様な黄金の太陽になります。

私もかろうじて氷河に映る赤く強い光を、また見る事ができました。今でもこの感動は覚えています。

地球上の素晴らしい朝日と、地中海の夕日を見られる人はほんの数えられる人だと聞いています。私は眼が見えなくなっても、朝日と夕日を両方見られたのですから感謝にたえません。