aikokimura’s diary

私は鍼師で視覚障害を持っております

たび「フィンランド⑤ヘルシンキの研修とベルゲン、バーデン=バーデンからアルザスへ」1990年代

北欧4か国の内、研修をした国はデンマークスウェーデンフィンランドの三ヵ国でした。ノールウエイへは90年代の研修途中に2回、ベルゲンへ観光に行く事ができました。

ベルゲンは音楽家グリーグの生まれた町です。白夜のまだ日の落ちない時間に、ホテルで紹介してくれたホールに向かうと、11時頃からグリーグの歌曲集を聴く事が出来ました。グリーグの曲は親しみやすく、ラファエロにも通じるような穏やかな感じがして、聴いているとスーッとします。

その国の音楽を、その音楽が生まれた土地で聴ける事、これは最高の喜びだと思います。なかなかそのチャンスは得られない事ですのに、私はウイーン、ザルツブルグプラハでも、自然と聴く機会に恵まれていました。

もうひとつ、ベルゲンの日本人経営のお寿司は、とても新鮮で美味しかった事を覚えています。


フィンランドの研修で行ったヘルシンキ郊外では、精神疾患の方々を通所サービスする施設を見学しました。驚いた事は、患者様が送迎バスで自宅から施設に来るとすぐに「今日の仕事は何にしましょうか」と尋ねられ、10項目のプランの中から2つを選んで、1日中行っている事でした。

例えば、今日は洗濯とギター。編み物とギター。本を読む事と体操。と患者様が決めると、本当にずっと何時間でも行っていました。

自己責任を持たせて、実行する事によって、今までの苦痛が和らぎ、癒されて、改善方向に向かう。この方針は、日本人には無い、自由を感じました。ストックホルムの高齢者施設でも同じような事が行われていました。

また、独身者、既婚者共に、施設利用者内で新たな人生のパートナーを作り、与えられた生涯を最後まで共に楽しむための環境も作られていました。それは、結婚をせずに歳を取っても仕事をしている私には、今でも理解しにくい福祉でした。


1999年、ドイツのバーデンバーデンに開業しておられる、皮膚科で鍼灸師の医師に頼まれて「アトピー性皮膚炎の鍼治療」を伝えるために、数人の卒業生と私の姪で行きました。 

スイスから通訳のために来て、フランクフルトの空港で待っていてくれたMさんとは、きちんと会う事ができ、携帯電話があると本当に大丈夫だという事を自覚しました。

フランクフルトから貸切バスで1時間北西に走り、アルザス地方(ドイツとフランス両方ある地域)に接している所にバーデンバーデンはありました。

(姪:バスから降りると、街中でありながら自然の良い匂いがしました。)

バーデンバーデンは温泉保養地で、皮膚科だけでなく、整形外科、小児科、婦人科内科、耳鼻科、眼科と多くのクリニックが密集していて、お金持ちのロシア人やドイツ人が別荘を持ち、温泉とそれらのクリニックを利用している所でした。

半日、皮膚科の先生を訪問してアトピーの鍼をやらせて頂き、さらに先生ご夫妻の腰痛治療もさせて頂きました。喜んで「早速この鍼をやってみます」と言って下さいました。

先生は皮膚科に用いる器具を、卒業生たちに見せて下さいました。紫外線治療器は新しく改良された、小さく扱いやすい物になっていました。

あくる日は、アルザスまで電車で行きました。

(姪:朝、ホテルの窓を開けると、教会の鐘の音が中庭に響き渡ってきました。たくさんの重なる音は素晴らしい音楽の中にいる心地がして、日本では聴けないものだなぁと思いました。)

ドイツの電車は、動物も自転車も人も一緒に乗れる事を知りました。
アルザスは、葡萄畑があり、市電も走っていて、いつでも乗り降りできるチケットが買えました。Mさんはフランス語も出来ますので、フランス領にも行けて、昼食にはガレットという、美味しいパイ生地の様な物にくるまれた野菜をいっぱい食べました。

(姪:白ビールの美味しさを知りました。フランス領は何を食べても美味しかったです)

バーデンバーデンに戻ると、そこからバスで、ブラームスが夏の休暇に使っていた家に向かいました。バス停から走って、閉まる17時にぎりぎりに着き、ブラームスが座っていたソファーに皆でほっとして座り、作曲家が居た、静かな空気感を味わうことが出来ました。夜、若い彼らは生ビールのカップを重ねて何杯飲めたと喜んでいました。落ち着いたドイツの町でした。