aikokimura’s diary

私は鍼師で視覚障害を持っております

たび「イギリス②コッツウォルズ・湖水地方」2013年

2013年頃、2008年にクロアチアへ一緒に行った3人で、イギリスの田舎コッツウォルズ(羊の丘)へ1週間ほどの旅をする事にしました。イギリスに住んだ日本人は必ず行っている所だそうです。行きはヒースロー空港から出ている長距離バスで3時間位。着いてみると、のどかな田舎町でした。


宿泊先があるブロードウェイは、中世からずっとこのままではないかという空気が流れていて、泊まったホテルもリゴンアームス(チャールズ1世が滞在したという建物を改装した所(The Lygon Arms https://www.lygonarmshotel.co.uk/)でした。


2階建てでエレベーターはなく、20段ほどの古い木の階段には幅の狭い絨毯が新たに敷かれていました。廊下には唐突に木の柱が出ていて、さらに彫刻いっぱいの木の椅子、ウインドケースにはグラスや陶器(どうも日本から来たらしい品)が綺麗に並べられていましたので、一人で歩くのは壊しそうで怖いと思いました。ギシギシ音の鳴るせまい廊下は、恩師が最期を迎えられた施設をふと思い出しました。


私の部屋は普通のカードキーでしたが、友人のツインルームの鍵は長さ10cm、太さ数cmの木で造られた物でした。部屋には必ずランプが2つはあり、バスタブも古いのでお湯と水の切り替えは蛇口が錆びていて大変でしたが、これを懐かしむ方もいらっしゃることでしょう。


周りはコテージ、テニスコート、クラッカーコート、スパ、宴会場などが備わっていて、どうも毎年夏には決まった方々がいらっしゃるらしく、部屋は満室。落ち着いた大通りに面した建物の静かな中庭で、宿泊客は三々五々、ワインやビールを飲んだり話したりして、パソコンをやっている人もいました。


私達も昼間にベンチや椅子に腰かけて、美味しいクランベリージュースを飲みながらゆっくりと話すことができました。一緒に行った7年前に亡くなられた年上のNさんは、若い頃の事をいっぱい話してくれました。福島生まれの彼女は長女ですが、独身。福島では長男は養子に行く家庭が多いそうです。日本でも地域によって風習がずいぶん違っていると思いました。


3人の内、1人が体調を崩してしまったので、Nさんと私はホテルの隣の画廊に行きました。私が見えない事をお話ししますと、画廊のスタッフの方は100万円以上もする彫刻に触らせて下さったり、1冊1冊、絵の本を手渡してくれて、ページを開きながら1時間も話ができました。そして帰る時には、私が気に入った絵本を1冊無料で下さいました。シェイクスピアの家には行くべきだと教えて下さり、なにか幸せな、温かいひと時を味わえました。


そしてホテルから100メートル位歩いたところで良いお店を見つけました。そのたばこ屋さんは、飴やウエハース、木綿のカーディガンや靴下などの雑貨も売っていて、私達は滞在中に3度も通いました。


リーフの紅茶も売っていたので、紅茶好きの私はたくさん買いたかったのですが、そんなには無いと言われてしまいました。小さな村の雑貨屋さん、昔の東京にも昭和20年代にはあったかもしれません。


ホテルから車で20分位の所にあるヒドコート・マナーガーデン( Hidcote Manor Garden 園芸家、ローレンス・ジョンストンが30年かけて作りあげた4万平米の庭)にも行きました。


そこは1日かけてやっと全てが見られるほど広く、たくさんの見所があるそうです。案内の人は「日が暮れるまで居ても良いですよ」と言って下さいました。私達はゆっくりと庭の半分位を歩くことができました。


池もあって、何の花々があったかは忘れてしまいましたが、東京の小石川植物園のように区画されていて、橋をこえるとヒース畑、右に行くと枝垂桜があったりと落ち着いたガーデンでした。所々にベンチもあって、お弁当を持ってきて食べている親子もいました。


コッツウォルズの街は歩いていても煩いパブはなく、馬で歩く人も何人か見かけました。都会育ちの私には、なんとも言えない田舎の自然な空気が心地良くて、また行きたい所だと思いました。

 


別の日も車で30分位かけて、シェークスピアの生家に行きました。偉大な方ですが、こんなにいろいろな物が残っているとは思いませんでした。


ベッドはどうも真っ直ぐ横になれない小さい物らしく、当時は水が大事だから溜めておく壺や、洗面所もありました。しかし、彼は貴族ではないので高級な家具などは残っておらず、彼が書いた原稿が多く残されていました。中庭では素人が演劇をしていたのが面白く、この街を歩くと、今でもゆかりの劇場が3つも残っているのには驚きました。


私は昔、『リア王』という劇を小学5年生の時にやらされた記憶があります。内容は何も覚えていないけれど三女の役で、白いブラウスに母が作ってくれたピンクのロングスカートを着て、一言二言、台詞を言ったのを思い出しました。


その後、朗演は何度か観に行ったものの自分が芝居をする機会はなく、そういった物語も読んでいません。海外の名作は中高の時に点訳、二十歳代ではカセットテープで音訳を聞いたりしていました。

 

コッツウォルズに滞在中、1日がかりでバスの乗り継ぎをしながら湖水地方へも行きました。


冬寒いためか雪が降るためか分かりませんが、通り過ぎていく家々は平屋で屋根の色は赤が多く、小さな窓辺にはヨーロッパらしく庭に咲いた花々を飾っていて「素朴な美しさがある」と、同行の人達はバスの中から一生懸命に写真を撮っていました。


乗り継ぎの小さなバス停に長く待っていましたら、お父さんと7歳位の子供がバス停で待っている人達に「肉はいりませんか、1キロいくら」とか、なまった英語で言って売りにきました。日本なら魚売りでしょう。直径20cm位、深さ40cm程ある売り籠をいくつか持ってきていて、びっくりしました。


自分の家で飼っていた牛や、ヤギの肉を売って生活している家族のようでした。貧しい田舎の親子です。学校にも行けない可哀想な子供だと察しました。近くに住んでいたなら買ってあげたいと思いました。


2013年頃の日本の田舎なら、どこかにスーパーかコンビニがあって、たぶんこのような風景には出会わないでしょうう。

 

ヒル・トップ(ピーターラビットの作者の家)へ着くと、そこは農地で涼しく、牛や羊がいっぱいでした。家の周りには石垣があって、どこへ行っても花がいっぱいで、8月でもまだ藤があり、ヤナギラン、枝垂れ桜、ヒース、クリスマスローズ、コスモス、ひまわり、ダリア、何だかいっぺんに咲いていて鮮やかで、りんごや洋梨がなり、犬の鳴き声も聞こえてきて、おとぎの国に来たような感じでした。


夕方にワーズワースの家や、彼が通った学校に行きました。彼が遺した物はひ孫が守っていました。


学校では朝6時から5時までびっちりラテン語ギリシャ語、数学等を習ったようです。教壇は今の演台のような感じで、しっかりした彫刻がなされていました。どうもイギリスはイチイの木がふんだんに使われているようです。箪笥も日本の昔の箪笥とよく似ていました。


私はワーズが座った椅子に腰掛けさせてもらい、そこにあった羽ペンで絵を描いてみたりしました。


川や湖、水の近く。人がそこで生活できるのはいつになっても変わらない。色は見えないけれど、さわやかな空気、花の香りは忘れる事はないだろうと思います。


イギリスの空は霧がかかって暗い時が多いけれど、人々は家族を大事にするし、親切に答えて下さるし、日本の田舎と似ているかもしれません。