aikokimura’s diary

私は鍼師で視覚障害を持っております

たび「ニューヨーク⑤お世話になった方々 NYの様々なお食事」

皆様ご存知のように、ニューヨークには郷土料理はありません。当時もイスラム、キリスト、ユダヤの三民族を中心に、ほぼ3分の1ずつ住んでおられるという事で、お料理は多彩でした。

私がニューヨーク訪問中にご招待を頂いた夕食の中で、初めて頂いたギリシャの海鮮料理は、とてもあっさりして食が進みました。

また、「え」と思って伺ったアラビア料理のお店は明るく、割合に静かで、お野菜料理も多くさっぱりしていました。最後に出てきたサフランのアイスクリームは、とても良い匂いがして食べやすく、もう一度頂きたいと思いました。

イタリア人の経営されたイタリア料理とアイスクリームは、イタリアにも何度も伺ってきた私ですが、NYでも本当に美味しいと思いました。

日本料理は、お高い日本クラブのフルコースや、北海道の東寿し(以前、研修旅行で学生と一緒に札幌の本社に伺いました)のニューヨーク店にも、何度か連れて行って頂きました。

その頃のニューヨークの東寿しでは、鮭の皮付きを焼いたお寿司が出て来ました。カナダの鮭だそうで、築地のお寿司屋さんにはない物を頂く事ができました。


ある時、私は「チョコレートを買いたいです」とお願いしました。
アメリカのチョコレートは美味しくないとよく言われますが、お世話下さっていた方々は、タリーの町の細い路地を入って行き、日本の小さな商店と変わらないほどのチョコレートだけを売っている、小さなお店に連れて行って下さいました。たぶん30平米くらいの石造りのお店です。

私が2箱欲しいと言いましたら、お店の方は「今日はそんなに残っていません」との返事でした。ひとつずつ手作りなのです。「イギリス人がハドソン川を渡って、ここにやって来た当時のままのチョコレートですから」びっくりしました。お値段は覚えていませんが、たいへん美味しく、貴重なチョコレートを買えて本当に感謝しています。古いアメリカは、きっとイギリスの田舎のようだったと感じました。


日々のお食事で何より嬉しかったのは、お世話して下さっていたK様が、毎日作って下さった朝食です。
素敵な大どんぶりいっぱいのフルーツとヨーグルト、ダージリンという紅茶、それにご自分で焼かれたクッキーなど、誠意をこめて作って下さいました。K様ご夫妻はお部屋も、食事も、運転もすべて自然に行って下さり、なんと感謝申し上げて良いか分かりません。


また、K様が体調を壊された時、私を車で大型のコンビニに連れて行って下さったB様。
駐車場に着いてから私が車の外に立ち「ここで待っていますから」と言いましたら、彼女は「とんでもありません。駐車場は特に治安が悪いので、必ず一緒に買い物に行きましょう」と言って、店内にも連れて行って下さいました。駐車場は車内に居ても危険な時があるようです。

アメリカのコンビニはとても広く、分類別になっていて、まだ日本ではスーパーやコンビニ等のチェーン店がそれほど出来ていなかった時代からすでに、なんと整っている国だと思いました。

B様は画家でもあり、彼女の住むマンションはテニスコート2面と畑もあって、コロンビア大学の近くで緑もいっぱい。とても素晴らしい所です。彼女の絵は何枚も見せて頂き、私の「手」が感じる絵の感想を言わせて頂くと、喜んで受け入れて参考にして下さいました。日本にいらした時には、必ず治療も受けに来て下さっています。


もうひと方、マンハッタンの患者様のために、広いマンションの1室を鍼治療の時間、何度も貸して下さったY様に心から感謝申し上げます。

Y様は大使館関係の奥様で、毎回の夕食や、日本のちらし寿司を手作りして下さいました。そして素敵な籠によそって下さり、他のお煮付け、お酢の物なども本当にお上手でした。お世話下さった皆様と、いつも感謝の夕食を共にさせて頂いた事は忘れられません。

Y様がワシントンに移られて、私がお願いしましたところ「判りませんが」と言われながら、ワシントン大聖堂のヘレンケラーの墓碑を訪ねるお手伝いをして下さいました。Y様とお会いしていなければ、ヘレンケラーのお墓へのお参りは実現しなかった事になります。
Y様はワシントンのご自宅でも、美味しいちらし寿司をごちそうして下さいました。


次回は温故学会に投稿した「ヘレンケラーの墓石を訪ねて」を記載します。
本当にニューヨークの皆様ありがとうございました。