aikokimura’s diary

私は鍼師で視覚障害を持っております

2020-01-01から1年間の記事一覧

たび「中国研修旅行③」1999

1999年、中国3回目の研修は、山西省中医学院でした。平井先生も客員教授として、私たち15名に同行して下さいました。今回は、網膜色素変性症に対する鍼治療を学ぶための研修でした。 20年以上経った今も、黄斑部変性症の患者様を毎週治療しています…

たび「中国研修旅行②」1988

次に研修したのは、天安門事件の前の年でした。北京の鉄路病院で1週間、平井先生のご援助もあって、また衛生局招きで研修する事ができました。事前に履歴書はもちろんの事、研究歴、学会名なども詳しく記載し、どのような事を研修したいか800字位にまと…

たび「中国研修旅行①」1982

1982年、ヨーロッパ研修旅行に続いて、中国の中医学院研修の旅に参加しました。この度も理教連の主催で全国から30数名の先生方が集まり、代表者は後に、筑波技術短期大学学長もなさった西条先生でした。 中国衛生局の招きでしたので、10日間ずっと中…

たび「イギリス研修旅行」1986・1995

イギリスには何度も研修旅行に行っています。 1986年頃、当時大学の研究生だった同僚の英語の先生が、ケンブリッジ・クイーンズカレッジに2年間留学していた時に「来ない?」と誘って下さり、彼女は鍼を行っているクリニックを一生懸命に探して、さらに…

たび「理教連の研修旅行②イギリス」1981

1981年の理教連(日本理療科教員連盟)の研修旅行では、RNIB(The Royal National Institute of Blind People・英国王立盲人協会)を研修しました。その視覚障害者リハビリテーション施設で、白杖を売っていました。 蛍光塗料が塗られていて夜間でもよく…

たび「初めての研修旅行①フランス」1980

私は1980年頃から2018年まで海外へ、研修旅行、鍼のボランティア仕事、観光と、毎年時には2回訪問して来ました。これからは、しばらくその事を書いてみたいと思います。 1981年、私達の教授が企画なさったヨーロッパ研修旅行に参加しました。こ…

たび「私の歌③ 渡辺はま子先生との出会い」

私が童謡の『ないしょ話』を歌うため、NHKのニュース番組に出た時に『あゝモンテンルパの夜は更けて』という歌とともに、戦犯の厳刑運動をなさっている渡辺はま子先生の話を聞きました。私はまだ8歳の子供でしたが「この素晴らしい先生に連絡したい」と直感…

たび「私の歌②」

私の育った盲学校の音楽の授業は、とても進んでいたと思います。1950年代頃ですと歌を歌わせるか合唱で歌うか、楽器でもハーモニカができる子供がいたくらいでした。 1953年頃、私たちは授業でウェーバーの「魔弾の射手」やハイドンの曲をレコードで…

たび「私の歌①」

私は東京教育大学教育学部付属盲学校(現在の筑波大学付属特別支援盲学校)に、5歳から23歳まで生徒として、その後60歳まで鍼学科の教員として勤めました。5歳から60歳までずっと同じ学校で過ごした事になります。「井戸の中の蛙」という訳です。私…

たび「母」

75歳を過ぎた近頃の私は、人の旅は、人間が生を受けた誕生日から始まり、遺構の日に終わると感じてきました。 「鍼」治療という仕事を得て、妊娠、時には授精から出産1か月前までの、お母さまのお腹の中の赤ちゃんをたくさん触察してきました。赤ちゃんに…

たび

私も、視覚障碍者の一人です。 この度の、コロナウイルスで、盲聾者の方は本当にお困りになられたようです。 私の場合は、タクシーを多く利用していますし、ガイドの方も理解があって、美容院、デパートへの買い物には、いつも通りお願いできました。 今、新…