aikokimura’s diary

私は鍼師で視覚障害を持っております

たび「ニューヨーク⑥ワシントン大聖堂 ヘレン・ケラーの墓石を訪ねて 2015」

ヘレン・ケラーさんは、1937年(昭和12年)4月29日に東京盲学校においでになられ、1時間講演されたそうです。

私がヘレン・ケラーさんのお声をお聞きしたのは1955年(昭和30年)10歳位の頃でした。当時私が通っていた東京教育大学付属盲学校(旧東京盲学校)の生徒全員が日比谷公会堂に行って、お話をお聞きしていると思います。

当時の私には「盲聾」という事や、英語で話される内容はわかっていなかったでしょうが、美しく高いお声は発音もはっきりしておられ、素晴らしい方だと思い、感動したのだと思います。

その後11歳の頃に、ヘレン・ケラー伝を読んだ記憶はありますが、70歳を越えた私は「素晴らしい盲聾の先駆者でいらっしゃった」という事しか知らずにおりました。そんな私が、ヘレン・ケラーさんとサリバン先生が眠る大聖堂を訪問する機会ができたのです。

 

私がワシントン大聖堂に伺える事になりましたのは、ニューヨークに13回ボランティアで鍼治療に伺っている間、いつもお世話をして下さっていた方々の中に、たまたまご主人が数年前にワシントンに仕事で移られていたY様がおられ、2014年から1年間かけて交渉して下さったからでした。

大きなイベントが3週間前に行われていなければ、訪問は可能であるとのことでしたが、本当のところは「3日前でないとわかりません」との報告を頂きました。

最後にY様が交渉して下さった時は、ちょうど私たちが東京からニューヨークに出発した飛行機の中でしたので、ニューヨーク到着後すぐに確認の連絡をしたところ、訪問の許可がおりていました。
それからというもの、当日、大聖堂でお参りできるまで、期待に胸を膨らませていました。

 

2015年8月27日朝、私は同行して下さった新潟県の友人と、ニューヨークのウエストチェスター空港からワシントンへ向かいました。

ニューヨークからワシントンまでの道のりは約300kmあり、日本で例えると東京―大阪間に等しく、比較的日帰りしやすい距離だそうです。ワシントンはとても車が多く、歩いている方々も急ぎ足で、世界一の政治機關機関の街と直ぐに感じました。

ワシントン到着後、Y様と空港外でお会いし、私達は早速Y様のお車でワシントン大聖堂に向かいました。
道中のアーリントン墓地には戦没者、またケネディ大統領夫妻のお墓もあるそうです。さらに、国立美術館ホワイトハウスを越えて進みますと、一番山の上にワシントン大聖堂が聳え立っておりました。

大聖堂の入り口には売店があり、リンカーンなど有名な方のTシャツやスカーフ、聖堂の立体模型なども売っておりましたので、私も帰りにいくつか求めてまいりました。
売店を越えますと、大聖堂内の一番大きな教会があり、ここでアメリカ合衆国の名高い方々の葬儀が行われます。

大きな教会を越えますと左に地下に降りる階段が10段ほどあり、その階段を下りますと、オー・ヘンリールーズベルトと名高い方々の墓石が並んでおりました。

さらにそのエリアを越え、大聖堂の地下を5段廻って8段、さらに3段降りてすぐ右側にヘレンケラーとサリバン先生の墓石がありました。1メートルほどの高さで、横幅は80センチ位のお墓だと思います。墓石の表面はグレーでざらついた感じがいたしました。

石灰岩でできている粗い石のような碑には、お二人の火葬された灰の一部が砂となって埋められているそうです。そして、墓石の表面上側にのB5サイズ位の横長のプレートに、二人のお名前と亡くなられた日付が普通の文字と点字で書かれてありました。

英語の点字で「ヘレン・ケラーとサリバン先生の墓石」と書いてあります。皆さんが沢山読んで点字が薄くなっていたため読みにくく感じました。私は、ほんとうに夢を見ている思いでした。

 

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もうひとつ嬉しかった事があります。生涯平和のために貢献なさったヘレンケラーさんの墓石の左隣には、小さな教会がありまして、関係ある方でしたらいつでも、そこでお祈りができるのです。そこは気持ちの良い「気」を感じると同時に、とても好意的に感じました。

そして墓石のすぐそばにある3段の階段を上ると、左に木の柵があり一般の方が入れない場所があります。
そこにはアメリカ国家に活躍された多くの方の灰が祀られております。ヘレン・ケラーさん、サリバン先生の灰もまた、この場所に祀られていらっしゃるのです。

「ここは、平等な所」「平和を代表する所」と感じ、いつも清らかな心でおられたヘレン・ケラーさんにお会いでき、今も教会に守られておられる事に本当によろしかったと安堵して合掌をして、祈ってまいりました。


私は帰り際に係の方へ、佐藤隆久先生の書かれた本『日米の架け橋-ヘレン・ケラー塙保己一を結ぶ人間模様』をお渡ししてきました。この本は、ヘレン・ケラーさんが尊敬していた日本の江戸時代(今から300年ほど前に活躍された視覚障害国学者)の伝記が英文と日本文で書かれてある本です。大聖堂にある図書室に置いて頂けるそうです。

ヘレン・ケラーさんだけでなく日本の塙保己一先生も、世界中の若い方々にきっと知っていただける事と願って、最後に大きなカテドラルに一礼をして、帰ってまいりました。本当に「感謝」の数時間でした。

その後、東京からワシントン大聖堂にお礼のお手紙を書きましたら、10日位後に、喜んで下さった絵葉書が届きました。「美しい本ありがとうございました」とも書いてありました。

 

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2016年4月22日の午後、私が長く勤務しておりました現在の筑波大学付属視覚特別支援学校(旧東京盲学校及び東京教育大学付属盲学校)の資料室に伺いました。そこで、素晴らしい事に出会えました。

1926年、当時の東京盲学校教諭、後に校長になられた秋葉馬治先生が「斬新の盲教育探求調査」を、現在の文科省から命ぜられて2年間大米留学された時に、アメリカでヘレン・ケラーさんにお会いになりました。

その時にヘレン・ケラーさんが秋葉先生に送られた直筆のメッセージが資料室から見つかったそうです。資料室便り3号に記載された文の抜粋を書かせて頂きます。


“The story of my life”邦訳題『わが生涯』 ヘレン・ケラー直筆メッセージ

To Mr. Akiba

We exaggerate misfortune and happiness alike. We are never so wretched at so happy as we say we are.
Faithfully yours

Helen Keller.

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ヘレン・ケラーのサイン(筑波大学視覚特別支援学校資料室提供)

今回、見返しの部分に書かれた直筆の文字に触らせて頂けました。
30秒か1分の間で、アルファベットは全く判りませんでしたが、肉筆が強く、2行ほど横に真っ直ぐ書かれた横書きの文字だという事が良く判りました。

偉大なヘレンケラーさんの文字、声、そして墓石と触れられました私はなんと幸せ物者でしょう。数ヶ月たった今ふと思い出しますと、深い祈りと熱い涙が浮かんでまいります。感謝の1年間でした。