aikokimura’s diary

私は鍼師で視覚障害を持っております

たび「イタリア②ローマ~バチカン市国」1988

8月のローマは38℃。
太陽ギラギラの中を歩いてトレビの泉に行き「一度来たら、また来られる」といういわれを聞いて、皆でコインを投げてみました。その後、私以外のメンバーは誰もイタリアを訪れていません。
「幸運ももらえたかなー?」

ローマの地は、暗さや邪気が感じられる時もよくあり、私はバチカン市国の雰囲気の方が気に入りました。
サンピエトロ寺院で法皇様に謁見できる日だという事がたまたま分かりましたので、私はピンクのスーツに着替え、皆と一緒に向かいました。空は真っ青。「写真も撮れるわよ」と、誰かが教えて下さいました。

数年前に、故・増田次郎先生が「あなたはよく海外に行くのだから写真を撮ってみたら?それを立体コピーして、写真展に応募しなさい」と勧めて下さいまして、それ以降、海外に行く時はキャノンのオートマチックカメラを持参していました。


その時のカメラの方向が良かったと思います。後に日本に帰って、日本文化協会主催の「盲人写真展」に応募したところ、最優秀賞を頂きました。その写真と立体コピーは今も私の治療室に飾ってあります。

写真展にはその後も何回か入賞して、受賞作品は老人施設などに寄付できると聞きましたので、10枚位差し上げたように記憶しています。どなたかが見て、喜んで下さっていれば嬉しいですが。


サンピエトロ寺院のミサに参加する時には「貴重品しか持って入れません、大きな荷物は預けて下さい」と言われました。私は、白杖を持って入りたかったのですが、「これもだめ。傘と間違えられるから」と通訳の方に言われて、預かり荷物として持って行かれてしまいました。まだ白杖の事は、イギリス、フランスくらいしか判っていない時代でした。

法皇謁見のミサは3時間ほどあり、多くの参列者が集まって来ていました。私共は10人中、4人しか参加させて頂けませんでしたが、最前列の左の方の席に着くことができました。

法皇様が前にいらした時、まとっておられた法着は、白いですがよれよれした布でした。私は全くイタリア語が解りませんので、ガイドさんに言われた通り「プレイゴ」と言いました。
ところが法皇様からは、「神の見前に祝福あれ、あなたは光があります、頑張って下さい。」というお言葉を日本語で頂いてしまい、びっくり。ただ頷くだけでした。


なんという祝福を受けられた事でしょう。今こうして鍼をやれているのも「光」が与えられているからかもしれません。後に知った事ですが、「プレイゴ」は、法皇様が私に言って下さる言葉で、私は言ってはいけない言葉だった様です。

真夏の一日、世界中から多くの宗教家が集まる素晴らしいミサに参加できた事は、本当に偶然とは思えません。