aikokimura’s diary

私は鍼師で視覚障害を持っております

たび「ニューヨーク②お世話になった方々 自宅から成田空港、NYまで」2002

2002年のニューヨーク訪問2回目までは、日本からずっと付き添いの方をお願いしました。
1回目は前回書かせて頂いた同僚のY先生、2回目はベトナムセミナーの時にボランティアとして参加されていたO先生で、彼女は2021年の今も現役で新潟の教育界で頑張っておられます。

1999年のベトナムセミナー2回目の時に、たまたま同部屋で10日間共に寝泊まりしたO先生は、昨年のコロナが発生する前まで、世界と日本国内を一緒に旅する友人となっています。


ニューヨーク訪問2回目も、O先生は成田から一緒に行って下さいましたが、現地では「今日はマンハッタンに行って来たら」と勧められ、それからはいろいろな所に1人で行ってみる事にしました。

私にはケネディ空港から先は、2人の知人の方がお迎えに来て下さり、車の運転、お食事、宿泊の場所、さらに伺う前から、鍼治療の患者様の予約スケジュールまで準備して下さる方もいらっしゃいました。
ですから、日本から飛行機の中と税関、ラウンジのお手伝いをして下さる方がいれば、問題無くニューヨークを往復できた訳です。

その後、ガイドして下さるニューヨーク在住のK様が「愛子先生、次回からどうぞお一人でいらして下さい」と言って下さったので、3度目の訪問から11回は、お言葉に甘えてずっと一人で伺いました。
確かに付き添いの方の分を含めた2人分の飛行機代を出すのは大変でした。


一人で伺う際は、荷物も多くありましたので(例えば、鍼の道具、初めの頃は血圧計等も持参しました)自宅からタクシーで成田まで行き、空港に着くと予約してあったJALのスタッフの方に迎えに来て頂きました。

チェックインの手続きをして頂くと、ブラインドサービスの方が来て下さり、ラウンジまで一緒に行って下さいます。そこで私は、ラウンジの方にお茶の接待やトイレの案内をお願いします。

搭乗時間が近くと、また先程のブラインドサービスのJALスタッフの方がいらして、搭乗飛行機までガイドして下さいます。その間に成田では、日本人の主に男性スタッフの方と、いろいろ旅行した話などをしながら歩きました。
日本人スタッフは重そうなバッグですと持って下さいますが、外国人スタッフの方は「持って下さい」と、こちらから頼まない限り持って下さいません。

飛行機の座席に着きますとCAの方がご挨拶に来て下さり、私は椅子の事、食事の事、トイレの事などをお願いして、時には免税品を買ったり、ビジネスクラスの小さなホールで話をしたりしました。
何しろ14時間もフライト時間があるのですから。

免税品を買っていると1時間ほどは過ごせます。
まず、何か私の買える値段の物があるかとお聞きし、何点か実物をお持ち頂だき、どれか買う事に決めるまでに30分かかり、決めてから係りの方が包装して私の席までいらっしゃるのに20分、そこでカード決済をして終わります。
この時間は楽しいひと時になってしまい、何年も通う内にずいぶんバッグやアクセサリーが増えました。

機内では、私は睡眠薬で2時間か3時間しか眠れませんので、ゆっくり食事をしながら持参のiPod nanoに入った音楽を聴き、好きな原稿を「ブレイルポケット」という小さなメモ書き用の点字機を使って書きました。
『愛子の鍼』の原稿もかなり機内で書いた事を覚えています。


ケネディ空港に着陸しました。
今度は、ニューヨークのJALスタッフがお迎えに来て下さり、税関手続き、荷物下ろしをして、税関を出るまでガイドして下さいます。
10数回お願いした事になりますが、イギリス人カナダ人、アフリカ人と多様で、日本人の方にはまったくお会いできませんでした。片言英語で、何とか辿り着く事ができました。

そして、大変お世話になった、Kさん、もう一人のKさん、Bさんが必ず二人でお迎えに来て下さいました。
1人は運転、もう1人はスーツケースを持って下さり、私をガイドして下さいました。
ケネディ空港から北へ40分走って、ウエストチェスター(ハドソン川の近く)へ。
緑の匂いと小鳥の声が聞こえるゲストルームに到着です。

 

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