aikokimura’s diary

私は鍼師で視覚障害を持っております

たび「ニューヨーク①」2001・11

2001年、ワールドセンター事件の年です。
3月頃に、ニューヨーク在住のある有名な方から「東洋医学の話をして欲しい」という依頼がありました。

 

早速、私は勤務していた学校の管理職に許可を貰いに行ったところ「兼業はいけません」と言われましたので、今回の健康セミナーはボランティアでお話しをする事にして、
11月1日から3日間の渡米予定で、英語の堪能な同僚のY先生と一緒に、教会で行われる「健康維持のための東洋医学セミナー」に参加するため出掛ける事にしました。

 

まず国家公務員としての研修願の書類を何枚か、代筆のボランティアさんに書き込んで頂いて提出し、7月には文科省から許可の書類が届きました。
そして夏休みの間に発表のための原稿を作り、私が教えていた卒業生の中で英語の大学講師をしている方に英訳を頼みました。これで準備OK。

 
ところが、9・11、ニューヨークで大きな事件が起こりました。
私も、Y先生も、あきらめました。

 

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すると10月初めに主催の方から電話があり、参加者50名には何事もなかったので「予定通りに実施いたしますのでご参加下さい」という連絡を頂きました。
その時、アメリカ、特にニューヨークの人々の実行力は素晴らしいと感じました。


ニューヨークの空港に着くと、黒塗りの車が迎えに来ていたのでY先生はびっくり。
さらに「お二人共、今晩オペラか、ブロードウェイのライオンキングがありますがどちらが宜しいですか」と聞かれ、若かった私たちは「ライオンキング」をお願いして、ブロードウェイ劇場の最も良い席で夜を楽しませて頂きました。

 

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ミュージカルは、幕間に出演者と楽屋で気軽に会えるという事も知りました。
私もY先生も、夢のような11月1日の夜を送れた訳です。

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翌日2日はワールドセンターに行き、まだ煙のくすぶっている音や匂いを嗅ぎ、静かに手を合わせました。
その後、教会で「健康維持のための東洋医学セミナー」が始まりました。

 

アメリカ人、スイス人、台湾人、大勢の日本人の方々が待っていて下さいました。
私が話した東洋医学と深く関係している「陰陽五行論」は、皆様とても興味をもって聞いて下さり、質問も多くいただき嬉しかったです。
通訳は、英訳の資料を見て頂きながら教会関係の方々が行って下さいました。本当に感謝しております。

 

さらに皆様が興味を持って下さったのは、Y先生が按摩を、私が鍼を、希望者の症状に応じて治療をさせて頂いた事です。夕方まで時間をオーバーしてやらせて頂きました。

治療のために用意して下さった毛布や布団は、終了後も関係者の方々が運んで下さいました。
その中のお一人に、今の日本の皇后雅子様の妹様もおられ、帰りに私たちの車に同乗されていたという事を、後で聞いて知りました。

 

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セミナーの翌日は、当時のニューヨークフィル監督、クルト・マズア家へ私一人で訪問し、ボランティアで20名程の方に鍼治療をさせて頂きました。

クルト・マズア夫妻は、日本にいらした時に、私の鍼治療を必ず受けて下さっていました。
この時も「夢」(クルトさんの座右の銘で、直筆の書)が飾られている前の部屋をお借りして、治療させて頂きました。本当に感謝しております。

 

その日の患者様の中にはジョン・レノンの奥様オノ・ヨーコ様もいらして、私にはとても物静かな方のように感じました。
ニューヨークには、有名な音楽家、画家など、芸術家が沢山おられると聞いています。


その後も14回ニューヨークに渡り、随分いろいろな方と出会って、拙い英語と日本語で話をし、
鍼治療ができて、新しい世界を知る事ができました。
このような体験を受けられた視覚障碍者は、とても少ないと同僚から言われました。

 

セミナーでお世話になり、2018年までずっとお会いできた方々には、なんとお礼申し上げて宜しいかわかりません。毎年、感謝のクリスマスカードをさし上げております。