パリ最後の夜は、ガイドさんのご自宅に招かれました。
フランス人の消防士の住まいで、マンションでした。4人家族が住んでおられるそうです。
私には、パンとコンソメスープと子牛のステーキ、デザートは好きなアイスクリームでした。フランス人のいつもの夕食だそうです。
最後に「何か聞きたい事がありますか」と言われたので、「シャンソンが聞きたいです」と申し上げました。
この希望はかなわないと思っていました。もうフランス人はシャンソンを歌わないとガイドさんから聞いていましたから。
ところが、ご主人は、まだ歌える方でした。私の希望を聞いて下さり、2曲、静かに歌って下さいました。本当に感動してご主人に握手を求めてしまいました。ご主人もとても喜んでくださり、パリ最後の夜は、素敵な私の退職祝いになりました。
あくる日はシチリアへ。
パリ在住の患者さんも希望されましたので、一緒に向かいました。2時間のフライトでカターニャに着きました。小さな飛行機で隣り合わせたイタリア人の男性は「毎日この飛行機でイタリアとフランスを往復している、このコースが一番速いのだ」と話して下さいました。ヨーロッパは本当に国が隣接しあっているのだと感じました。
エトナと友達の迎えを受けて、懐かしいニコロジの村に着きました。イタリアの皆さんは「コメスタ」とハーグして下さいました。私も何度も伺っていますから、ハーグは大丈夫になりました。コロナの今、イタリア人は、どんな挨拶をしているのでしょう。
夜は、物理療法学校の生徒さん達がピザパーティーを開いて下さり、皆でダンスをしたり、歌ったり、とても歓迎して下さいました。私は、ピザのSサイズの半分も食べられませんでしたが、皆さんの気持ちは本当に嬉しかったです。
次の日は、シラクーサにつれて行って下さいました。暑い中、私の車の座席は往復とも素晴らしい日差しで、とうとう頭痛がして、熱中症にかかってしまいました。
すると、イタリア人は、大きなスイカを持って来て、「これを全部食べなさい」と、その大きさは、たぶん日本のスイカの2倍はあって、ラグビーボール型でした。その4分の1位を食べたら、頭痛が取れました。さらに「この大豆オイルを3日間塗ってごらんなさい、やけどが治るから」と親切に言って下さり、大豆オイルもプレゼントして下さいました。
私は日本に持って帰り、2年間、日焼け止めに使わせて頂きました。非常に良い民薬だと思いました。
イタリア人は、風邪には、カモミールティーに、はちみつとレモンと月桂樹の乾燥した葉を浮かせて飲んで治します。ドイツでもそのような方法があった事を覚えています。
ニコロジでお世話になった火山ガイド、アントニオさんの家にご挨拶をしに行くと、バールでのお食事に連れていって下さいました。
最後に頂いた、チョコ味のジェラートの上にアーモンドチョコレートを数個乗せたデザートは、初めて頂き、まだどの国でも頂いていません。とても印象的でした。さすが芸術の国イタリアです。
もう遠くて伺えませんが、若い方々には、イタリアに1度は行くべきと勧めている私です。
皆様本当にありがとうございました。優しいラファエロの国。