aikokimura’s diary

私は鍼師で視覚障害を持っております

たび「初めての研修旅行①フランス」1980

私は1980年頃から2018年まで海外へ、研修旅行、鍼のボランティア仕事、観光と、毎年時には2回訪問して来ました。これからは、しばらくその事を書いてみたいと思います。

 

1981年、私達の教授が企画なさったヨーロッパ研修旅行に参加しました。この旅が私の海外旅行の初めです。全国から理療科(あんまマッサージ指圧、鍼、灸)の三課を教える30数名の教員の集団でした。


一昨年、遺構された「点字の神様」阿佐 博先生は、NHKラジオ『盲人の時間』現在は『視覚障害ナビ・ラジオ』と言われている番組の最初のディレクター、川野 楠己様とペアーでした。12歳のお子様を連れてこられた先生もいました。私は、芹沢教授ご夫妻をサポートされた、当時同僚の国語の教諭、宮内先生とペアーになって頂けました。

 

成田から香港、ニューデリーバーレーンを経由してフランクフルトまで23時間、ほぼ1日かかりました。その頃、私はバーレーンという国が在る事すら知りませんでした。

 

バーレーンの空港に降りると、黒いベールをかぶった女性を見かけました。鼻筋が通っていてとても美人の横顔でした。空港は塵一つ無く奇麗で、香港の空港とは対照的でびっくりしました。


後に、バーレーンに行くチャンスがありましたが、ちょうどエジプト紛争の時期で断念する事になりました。もうバーレーンには行く事はないでしょうが、うっすら見えた私の脳裏には、中東の美しい女性と奇麗な空港はずっと焼き付いています。

 

 

この旅はドイツ、フランス、イギリスの視覚障害関係の学校やリハビリ施設を研修するツアーでした。


フランスの研修でパリのセーヌ川畔を歩いた時には、悪臭がして来ました。シャンソンで歌われているロマンチックなセーヌ川ではない事を体験しました。また、ホテルで「パンが欲しい」と英語で言うと、まったく反応がありません。ツアーの1人が「メルシー」と言ったら直ぐにパンが出て来ました。まだ、英語の通じないフランスでした。今はプロバンスの田舎でも英語の判る方がいるようですが。


何度かフランスに伺っていますが、プライドの高い国だと感じます。例えばマッサージの研修を、個人で受けたいと手紙を書いても難しいです。どなたかフランス人を介してお願いするとスムーズに行きます。