aikokimura’s diary

私は鍼師で視覚障害を持っております

たび「中国研修旅行①」1982

1982年、ヨーロッパ研修旅行に続いて、中国の中医学院研修の旅に参加しました。この度も理教連の主催で全国から30数名の先生方が集まり、代表者は後に、筑波技術短期大学学長もなさった西条先生でした。


中国衛生局の招きでしたので、10日間ずっと中国政府の男女二人の役員さんが同行して下さいました。まだ中国の人々は人民服でした。

 

この研修旅行では、16歳で日本から中国に渡られ、中国語が上手になり過ぎてスパイと間違えられ、獄中生活をしながら小児科と外科の医師の資格を取り、1978年に帰国が許されて日本に戻られた平井栄三郎先生が、鄧小平さんに可愛がられたという事で、企画から通訳までお世話して下さいました。 

平井先生には亡くなられるまでに、漢方薬の知識や中医学の知識を、電話あるいは実地で教えて頂く事ができました。本当に幸運な私です。
さらに個人研修、卒業生との研修など、多大なご援助を頂く事ができました。

 

北京、広州、蘇州、上海の中医学院で研修し、その土地どちの観光をさせて頂き、夜は政府高官の方々とレセプション。本当に忙しい10日間でした。

私と宮崎のHさんは、二人共ほとんど見えないペアーでしたので、平井先生がずっと二人の手引きまでして下さいました。

 

万里の長城は、12歳の女の子の手引きでした。
まったく初めてとは思えないほど息が合って、40分で展望台まで登れました。りゅうちゃんという名前で、身長も同じ位。言葉はまったく通じなくても一緒に歩けて本当に良かったです。

「りゅうちゃんありがとう」

 

北京で頂いたペキンダックに、30数名中、半分の先生が食あたりして万里の長城には10数名しか上る事が出来ませんでした。一人の先生は、点滴を受けられました。異国で治療を受ける事は大変です。