aikokimura’s diary

私は鍼師で視覚障害を持っております

たび「ベトナムセミナー①準備」1997

1997年にセミナー準備のために初めて訪問したベトナムは、戦争の後色が濃く、人々は裸足、私達が宿泊したホーチミン障碍者センターは、雨漏りがしていました。

この初めての訪問の際、私は大変な事をしてしまいました。
ベトナムに行く前に何度もボランティアさんと書類をチェックしたにもかかわらず、ビザを間違えて自宅に置いて来てしまったのです。
当時、私はヨーロッパにも行って、パスポートくらいのビザは触っていましたが、A4の様な大きいビザは見た事がありませんでした。
ホーチミン空港で気付いたため、今からビザ申請をし直すか、私だけ一人で日本に戻るかどちらかでした。
BAJ(Bridge Asia Japan)の新石様から「写真はありますか」と聞かれ「いいえ」と申し上げながら、だんだん不安になってきました。

ところが新石様が大使館に連絡して下さったところ、なんと、
「ノービザで良い。それは、あなた自身が視覚障碍者であり、これから視覚障碍者のための教育をしている方に、新しい事を教えるために日本から来てくれたのだから」
という事で、ビザなしで許されたのです。本当に胸を撫でおろした一瞬でした。
生涯をベトナムに尽くされた方なので、今回の件も受け入れられたのだと思います。

BAJの創立者、新石様はベトナム戦争の頃に、
後にハノイ大学の学長をなさった東京大学の同級生と親しく、戦時中からベトナムと日本を行き来され、何か援助をしたいと思っておられました。
そして戦争が終了した直後からも度々ベトナムに渡り、特に水の環境を良くする事と、子供たちへ教育の場を与える事のNPOを立ち上げました。
また障碍者への支援として、当時、桜雲会の事務を担当しておられた高橋英雄さんに点字印刷機の寄贈と、それに合わせてマッサージ(日本あんま)も教育したいと要望され、今回のセミナーが計画されたのでした。


私達はハノイ、ハイホン、ダナン、ホーチミンの4都市を10日間で訪問しました。
桜雲会の代表、高橋昌巳先生は細菌学の教授でいらしたので、宿泊したホテルでも、訪問した学校でも水を調べておられて「納豆菌が出て来たよ」とおっしゃいました。
納豆菌が検出されたという事は、ほぼ黴菌が混在しているそうで、全員気を付けるように話して下さいました。

翌年のセミナー開催時に私個人は衛生面を考え、按摩を行う時の手ぬぐい100枚以上、アルコール、
(ひそかに白衣のポケットに入れて、時々実技の間や、昼食やおやつの時にも手の消毒をしていました)
タオルやトイレットペーパーまで持って行きました。
また2度目のセミナーの際に女の先生全員が陰部の炎症を起こし、私はトイレットペーパーの汚れからだと気付きましたので、次回からは皆で持参するようにし、現地の日本人通訳者に残りはさし上げて来ました。


訪問した各地で盲人協会の方々、盲学校の校長先生や職員の方々、さらに生徒さん達など多くの方と懇談しました。
皆様、本当に強く、明るい方々だと感じました。
盲人の主な仕事は箒造りと養豚、その他歌を歌う事くらいで、学校に行けない子供たちもいっぱいいるようでした。


さらにホーチミンから南にメコン川をバスとフェリーを乗り継ぎ、4時間以上かかってカントーというメコン川沿いの村にある盲学校も訪問しました。
当時その辺りの人々は、ボウフラのわいた水も飲み、メコン川で洗濯をし、寄宿舎はたたみ2畳のベッドに4人位一緒に寝るという生活でした。
私達が遠くから来た事をとても喜んで下さり、歌で歓迎して下さいました。

ベトナムの方は本当に歌が上手です。